随処で主となれ!

~全ては自分で選択できる~

~全ては自分で選択できる~

■必参加。

企業研修は、“業務の一環”として行われます。

中には“手挙げ式”と呼ばれる、希望者のみが受講するスタイルもありますが、ほとんどの研修は、基本的に出席が“マスト”、参加しなければなりません。

なので、当然、受講者間でも、研修に臨むモチベーションは種々様々です。

■“研修が好き!”という人は少ない。

試しに、「今日の研修が楽しみで仕方なかったという方は、いますか?」と聞くと、手を挙げる人は、ほとんどいません。

特に、中間管理職と呼ばれる方たちや、現場リーダー向けの研修では、その傾向が顕著です。

中には、「このクソ忙しい時に、研修なんかやりやがって、迷惑千万だ」と、思っている人も少なからずいるようです。

また、中には、腕や足を組み、眉間にシワを寄せ、「つまらないこと言いやがったら、承知しねぇからな」と講師を“ロックオン”して、“攻撃モード”で臨んでくる方もいます。

◇ある企業で「部下とのコミュニケーション」をテーマにした研修を行い、部下や後輩がいる幅広い年齢層の社員が出席していました。

そのときのグループワークでのやりとりです。

(年配社員)「オレ、こういう研修って大嫌いなんだ。特にこういうディスカッションとか、死ぬほどイヤだ。早く帰りたいわ」

(若手社員)「まあまあ、そう言わずに楽しくやりましょうよ」

(年配社員)「オレはパス。若いみんなで、適当にやっておいてくれ」

(若手社員)「……」

残念なシーンです。

もちろん、始めから“前のめり”で、講師や周囲との交流を通じて、「何か役立つものを得て帰ってやろう!」という方もいます。

また、多くの人は、研修が進むにつれて、積極的、主体的に参加するようになっていくものです。

(講師の力量が問われるのは言うまでもありませんが……汗)

ただ、最後まで“斜に構える”スタンスを崩さない人もいます。

まるで、そのスタンスを貫くことで、自分のアイデンティティを守っているかのようです。

■もったいないなぁ。

そう感じます。

もちろん、「研修に出ない」という意思表示は普通で考えると、できないのかもしれません。

■でも、心に留めておいていただきたいのは、全ては“自分で選択”している。ということです。

例えば、日々会社に通勤するという小さい選択もあれば、その会社で働くことを決めたという大きな選択もあります。

いずれにしても、自分がその行動を“選択”していることは間違いない、わけです。

我々には、自身が望むなら、「会社に行かないという自由」もあるわけです。

なのに、「こんなに暑いのに、行きたくないなぁ……」

「今日の会議はめんどくさい、行きたくないなぁ……」等と言いながら、イヤイヤ会社に行く。

このように、我々は、「自分で選択しておきながら、それに対して不満を言う」という矛盾した言動を日頃から行っています。

こういう話をすると、「だって、会社に行かなければ生活できないだろ、行かなくてはならないじゃないか」と言う人がいます。

でも、理由やキッカケはともあれ、結果として、“自分が選んでいる”ことは間違いない、わけです。

■「家族を養うために仕方なく働いている」と言う人がいます。

実際、そうなのかもしれません。

でも、「仕方なく働いている」と自分にも、家族にも言っていても楽しくありませんよね。

家族に対して、「お前らのためにオレが犠牲になって、身を粉にして働いているんだ。」と思っている人もいるかもしれません。(特に年配の方に多いような気がしますが……)

でも、あと何年、そんなツマラナイ気持ちで働き続けなくてはならないのでしょう?

「家族の幸せは自分の幸せだ。だから、自分のために私はここで働くことを“自分で”決めたんだ」と思う方が楽しいと思いませんか。

■グチをこぼすのは、やめましょう。という、単純なメッセージをお伝えしたいのではありません。

私もしょっちゅう、グチをこぼしています……。

■全ては“自分で選択”している。ということを認めましょう。ということが言いたいのです。

ひととおりグチをこぼした後、「でもコレッてオレが決めたことだしな」と考えましょう、ということです。

そうすれば、我々のあらゆる活動が“受動的”なものから“能動的”なものに変わるからです。

先の研修の例で言えば、

キッカケは人事や総務からの要請で、「え~ッ、忙しいのにめんどくさい、イヤだなぁ」と思ったとしても、それに出席することを“自分”で決めたからには、「よし、せっかく行くんだったら、一つでも多く学んでやろう」と切り替えることができるのです。

「自分で決めたんだから、有意義な時間にしよう」と、考えることができるのです。

■随処作主 立処皆真(ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり)

『臨済録』という書物の中に出てくる禅の言葉です。

随処に主となるとは、いつでも、どこでも「それが私に与えられた機会」と捉え、ベストを尽くすこと。

そして、そういった生き様をしていれば、全てが真、正しいことになる。といった意味だそうです。

私の好きな言葉です。

(後記)

私自身、リクルートに在籍していた時、とても多くの研修がありました。

ロジカルシンキング、タイプ別営業スキル、ハラスメント等々。その中でも、コーチング研修講師の圧倒的なパフォーマンスに魅了され、「こんな職業があるのか……すごいやりがいがありそうな仕事だなぁ」と感じたのが、今の職業を目指したキッカケです。

まさに、人生が変わった経験です。

どんな経験も、何かが起こったり、変わったりする機会(チャンス)となり得るんですね。

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