サピエンス全史

~文明は人間を幸福にしたのか?~

~文明は人間を幸福にしたのか?~

■今日は書籍を紹介させていただきます。

今回選んだ本は、『サピエンス全史(上・下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ/河出書房新社)です。

■ホモ・サピエンスの誕生から現代までという時間軸、そして地球全体をカバーする空間軸、その2軸の無限の交差の中で、綿綿と続いてきた人類の歩み。

その歩みをわかりやすく、壮大な物語として表現した“凄いとしかいいようがない本”です。

著者は、ユヴァル・ノア・ハラリという1976年うまれのイスラエル人歴史学者。

私の読後感は、「ハラリ氏が、私と同じホモ・サピエンスとは思えない……」でした。

どうしたら、こんな本が書けるのでしょうか。

その才能とすさまじい努力(があったはず)に、ただただ敬服いたします。

■この本は、上下巻合わせて優に500ページを超える大作(しかも、字が小さい)です。

ふと、思い立ったら読み、また思い立ったら読み、と繰り返し、結局、読了するのに半年近くかかりました。あまりに壮大な人類の物語。

“あらすじ”を書く気力も筆力もないので、私が特に刺激を受けた言葉と、私の勝手な解釈を書かせていただきます。

◇『私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ』

ん?と一瞬思いますが、よくよく考えると、「そのとおりかもしれない」と合点がいく言葉です。

ハラリ氏は、『小麦の立場から農業革命について少し考えて欲しい。1万年前、小麦はただの野生の草に過ぎず、中東の狭い範囲に生える多くの植物の1つだった。ところがほんの数千年のうちに、突然、小麦は世界中で生育するまでになった。生存と繁殖という、進化の基本的基準に照らすと、小麦は植物の内でも地球の歴史上で指折りの成功を収めた』と言います。

小麦の立場からすると、人類がせっせと栽培してくれるおかげで、世界中に繁茂することができたわけです。

小麦を栽培するために、元々狩猟採集民として、自由に暮らしていた人類は、農業革命による生活の変化により、定住を余儀なくされたのです。

そして、天気や今の収穫、次の種、収穫した小麦の貯蔵場所、盗られるのではないかという心配に苛まれるようになりました。

小麦の栽培により、多くの食物を得ることができた人類は、爆発的に人口を増やします。

でも、人口が増えると、もっと多くの小麦が必要になる。

だから、もっと生産性を高めるために、際限なく、働くようになったのです。

その基本的な構造は今も変わらない、そんな気がするのです。

ハラリ氏は、こんなスルドイ指摘をしています。

『栽培化や家畜化を表す「domesticate」という英語は、ラテン語で「家」を意味する「domus」という単語に由来する。では、家に住んでいるのは誰か?小麦ではない。サピエンスにほかならないではないか』

◇『文明は人間を幸福にしたのか』

『無風の月に今も当時のままの足跡を残す故ニール・アームストロングは、三万年前にショーヴェ洞窟の壁に手形を残した名もない狩猟採集民よりも幸せだったのだろうか?もしそうでないとすれば、農耕や都市、書紀、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?』

歴史学者がこういう問いを投げかけることはめったにない、とハラリ氏は言います。

だが、これらの問いは、歴史について私たちが投げかけうる最も重要な問いだと。

私たちが歴史を学ぶ理由はどこにあるのか?

確かに、こんな問いを私は考えることなく、ただ世界史の年表を試験勉強のために暗記しただけでした。

そして、社会人になってから、歴史について学ぶ機会など、ほとんどありませんでした。

◇『私たちの前には、多くの可能性がある』

『歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためのものなのだ』

「歴史は繰り返す」、という言葉をよく聞きます。

歴史を学ぶ意味は、過去の人間がとったパターンから、普遍性を見出し、未来を推し量ることができるからだと考えていました。(かと言って、学んでいたわけではありませんが……)

もちろん、その意味は多分にあると思いますが、ハラリ氏の言葉には、もっと大きな“希望”を感じます。

■愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

~ビスマルク~

今回、サピエンス全史を読み終えて、かなり視野が広がりました。

小麦の立場で考えるとか、文明は人類を幸福にしたのか?と考えることや、歴史を学ぶ意義とか、この本に出逢わなければ、考えるキッカケはずっとなかったでしょう。

私は、仕事柄、よく本を読みます。年間200冊以上、読んだ年もありました。

でも、そのほとんどが、ビジネス書、いわゆるハウツー本です。

もっと多面的・大局的に物事を捉えるために、いわゆる“教養書”をもっと読みたい思います。

(後記)

人類の歩みがとても良くわかる、このような優れた本を、学生のときに読む機会があれば素晴らしいだろうな、と思います。

中学・高校で習った「世界史」の授業は、あまりに断片的で視野が狭すぎる。

授業の始めに、(1学期使っても良いぐらい)この本を読めば、ずいぶんと大局的に、なおかつ楽しく、我々自身のことがわかると思います。

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