残念な人たち

 ~なぜそこまで“自分”にこだわるのか?~

 ~なぜそこまで“自分”にこだわるのか?~

■年間150日以上、研修をしていると……

ごく稀にですが、受講者の中に「とても残念な人」がいます。

それは、頑ななまでに自分を変えようとしない人です。

■たぶん、

「研修はイヤだ」

「会社に言われたから仕方なく来てやっている」

「講師の言うことなんか無視してやる」

「グループワークなんか参加しないぞ」

「個人のワークなんかやってたまるか」といった想いがあるのでしょう。

研修冒頭から、腕組みをして椅子にふんぞり返り、ときに居眠りをしたり、ときにつまらなそうに溜め息をついたりしながら丸一日を過ごす人がいるのです。

そして、たいがい受講者アンケートに「時間のムダだった」のようなコメントを残し、研修会場を去っていくのです。

本当にごく稀にですが……いるんです、そういう人が。

■放っておきます。

新入社員なら別ですが、相手は“いい大人”ですから、別に注意をしたりしません。

放っておきます。

“あきれる”のもアホらしいので放っておきます。

周囲の受講者もしらけ顔で、相手にしないようになります。

なぜ、アホらしいのか、それは、あまりにも残念であることに本人が気づいていないからです。

そして、その人はおそらく、これからもずっと変わらないからです。

なぜ、「自分は変わらないぞ」と子供のようなスタイルを取り続けることに、そこまで拘るのでしょうか。

不思議でなりません。

中には、職場で満たされない承認欲求を研修の場で満たしたい人もいるのかもしれませんが、(若手ならともかく)あまりに幼稚過ぎて相手にはしていられません。

そういう人に講師も、周囲の人も構っているヒマはないのです。

小学生や中学生ではないのですから。

■3つの残念。

そういう人には、大きく3つの“残念”を感じます。

その3つとは、「主体性の無さ」、「自己毀損」、そして「危機意識の欠如」です。

①主体性の無さ

手上げ式の研修は別ですが、通常、企業研修は「会社に言われたから」というのが受講のキッカケになります。

そんな中、受講者の皆さんは、

「どうせ行くなら何かを持って帰ってやろう」とか

「これを実務に役立たせよう」とか

「他の受講者との交流も楽しみだ」とか

自分なりになんらかの意図を持って研修に臨みます。

キッカケは与えられたものでも、「出席する」という選択は受講者本人がし、ポジティブに考えるのが普通です。

◇そんなにイヤなら来なければいい。

そう思います。

「会社に言われたから、仕方なく来ている」というスタンスを貫くのは、あまりに主体性がなさ過ぎます。

「行かない」という選択肢が自分にあることを忘れているのです。

そういう人は、おそらくふだんの仕事も上司に言われるから、仕方なくやり続けているのでしょう。

◇主体性とは

自分の選択に自分で責任を持つことです。

それが、できてはじめて自立・自律が果たせるのだと思います。

②自己毀損

一日中、不貞腐れて過ごすことだけに集中している様子を見ていると、「この人は、自分を大事にしてないんだな」と感じます。

大事な人生の大事な一日を、そんな風にムダに過ごすことを自分に許しているのですから。

自分の時間が大事だと思うのなら、他の人が行っているように「どうすれば、有意義に過ごすことができるか」を考えるべきではないでしょうか。

自分が不機嫌に過ごすことを許し続けていると、自己肯定感が失われ、自分に対する信頼が毀損されていきます。

自分を大事に思うなら、「ごきげん」で過ごす方法を模索すべきでしょう。

③危機意識の欠如

研修では主にポータブルスキル(思考力、コミュニケーション力、マネジメント力といった業界や職種を問わずビジネスパーソンに求められるスキル)を共に学びます。

VUCAワールドと呼ばれる予測不能な時代において、今、自分が持っているスキルがいつまで通用するかというのは、誰しもが考えておいた方が良いでしょう。

そして、機会を見つけて貪欲に必要なスキルを身につけるべきです。

でも、残念な人はそういう危機意識を持っていません。

いつまでも「会社がなんとかしてくれる」と考えています。

いくら準備している人でも、二進も三進も行かないこともあるのです。

まして、何も準備していない人は、環境の変化に全く耐えられないでしょう。

また、これからは、会社が人材育成に投資することに対して、より慎重になることが予想されます。

やる気や将来性のある人には投資をしますが、それ以外の人は「スキルアップは自分でやって」という傾向が強まるでしょう。

会社に“おんぶに抱っこ”されている状態の人に成長の機会が与えられることはありません。

危機意識の決定的な欠如を残念な人には感じるのです。

■とにかく残念。

残念な人のように、常に“他責”で生きている人からは得るものがなく、まともに対峙すると逆にエネルギーが奪われてしまいます。

なので、残念な人の周囲からは、人が離れていきます。

たぶん、残るのは残念な人同士。

いつかそのことに気づくかもしれませんが、おそらく、そのときはもう手遅れでしょう。

残念です。

(後記)

講師業を始めたばかりの頃、ごく稀に「残念な人」に遭遇すると、まず、私は自分の講師力の無さを反省しました。

「どうしたらこういう人を変えられるのだろう?」と思い、その方策を考え、コンテンツやインストラクションの工夫を繰り返してきたつもりです。

ただ、最近になって思うのです。

「自分は変わらないことを誓っている人は変えられない」と。

無力感も感じますが、致し方ないですね……。

(今日の名言)

「仕事で敗北しませんでした。働かなかったからです」

「人間関係で失敗しませんでした。人の輪に入らなかったからです」

― 彼の人生は完全で、そして最悪だった。

~ アルフレッド・アドラー ~

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